東日本のひとなら一度は行ったことがあるんじゃないでしょうか、日光東照宮です。
コドモのころ来たならば、さぞ度肝を抜かれたであろうその社の大きさ。
栃木たび二日目後半は、いろいろおもうところがありました。
白根山に行ったあとは、来た道をもどり、日光方面へ向かいました。
これでもかっというくらいの曇天で、相変わらず雨が降っています。
来たからには、停まってみようとおもった中禅寺湖。
九月下旬の雨はなかなかの冷たさでした(^^;
日光駅のちかくだろうとおもっていたんですが、ちょっと距離ありますね。
山間の狭い場所に造られているようです。
足を踏み入れておどろいたのは、この参道の広さ!
杉並み木の背も高くて、なんて広大なお社だ、とおもいました。
こういう空間の広さをかんじたのは、(わたしが行ったなかでは)出雲大社くらいです。
「東照」とは、東を照らすという意味ですよね。「東」とは江戸のことなんでしょうか。ふと疑問におもったり。
歴代の武家政権は、「源」を名乗っているので、鎌倉に幕府をひらいた頼朝の後継者を自負しているらしいです。つまり、西の京(天皇家)に対して、東の武家。
くわしくは網野善彦の著作をお読みください(一般向けから学術系までいっぱい出てます)
と、東照宮のなかに入ろうとおもって拝観料を見てびっくり、1300円もするじゃないですか!!!(えーっ高ーっ)
ひとりだったら入りましたが、コドモ分もあったので、貧乏旅行中の身にはちとキツく、今回は断念いたしました。
赤い五重塔を見上げたり、
脇道を進んだりして、周囲をながめるだけにしました。
立派な杉ですなあ。東照宮ができたころはまだ若木だったのか。
しかし、境内は綺麗に掃除されていて、さすが日本有数の観光地。
お勤めしているかたがたもさぞ多いのでしょうね。
そういう東照宮を、たくさんのひとが江戸時代から連綿と維持しているわけです。
伝統とか信仰、で表せば簡単なことですが、ひとの営みそのものが「神」をこのような形にしているんだなとしみじみおもいました。
人間を惹きつけつづけるというのは、想像以上のものがあります。