一月はじめに登った宝筐山(茨城県つくば市)の登山記録のつづきです。
登山口から極楽寺コースで一時間半くらいでしょうか、アンテナのある頂上に着きました。
とても天気のいい日で、土浦から霞ヶ浦まで一望できました(^^)
これはたしか、つくば市のセンター(駅)のある方かと。
流れている川は桜川です。
もともとつくば市は桜村と谷田部町などが合併してできた市だそうです。
頂上には浅間神社がありました。
富士山信仰の神社ですね。
筑波山を見渡せるところに浅間神社があるというところは、なにか曰くがあるのかな……?
背負っている子どもはハンセン病にかかっている子で、忍性和尚がハンセン病患者の救済に尽力したことから、このような銅像が作られたのだとおもいます。とても慈悲に富んだお坊さんだったんですね。
忍性和尚は、麓の極楽寺を拠点に布教したことで、地元に知られているようです。
鎌倉にも極楽寺がありますが、wikiを見ると、ここの極楽寺で活動した時期のほうが早いんですね。
頂上に来たので、ベンチに座ってのんびりお弁当を食べました。
筑波山がよく見えました!
北関東の山々もうっすら見えます。
こうして見ると、“紫峰“の名があるのもうなずけます。
写真に撮るとちょっとよくわかりませんが、富士山もかすかに見えました。
早い時間に登るとよく見えるのかも。
頂上に、山の名まえの由来になっている宝筐印塔がありました。
宝筐印塔とは、宝筐印陀羅尼という密教の経典を納めた塔だそうです。
ま〜なんていい天気なんでしょう。
頂上で休憩したあとは、小田城コースで下山しました。
極楽寺コースは、川沿いを尾根目指して登るので、かなりの急登でしたが、小田城コースは比較的ゆるやかな道でした。
途中にあった下浅間神社。
このあたりには、浅間神社がいくつもあるようです。
麓にある八幡宮まで降りてきました。
頂上から一時間かからなかったような。
下山したのは3時くらいで、まだバスの時間まで間があったので、せっかくここまで来たのだからと、小田城跡をぶらぶらしました。
まず行ったのは、歴史広場案内所(写真なし)
新しくて綺麗な建物でしたよ〜
そこで、小田城についてのいろいろな情報をゲット。
(「鎌倉殿の13人」に出てくる八田知家が小田城を築いたとかで、一時期注目されたらしい……それ関連のものが少しあり)
そのあと、小田城跡に足を運んでみました。
復元された広場だけでもかなりの面積です。
南北550m、東西450mあるんだそうです。
集落になっている周辺を含めると、中世の城下町といった様子。
かつてはこの場所を、筑波鉄道が突っ切っていたようですね。
つくば市小田地区は、このように歴史のある地域でありながら、小学校は廃校になり、すっかりのどかな田舎町になったかんじでした。
わたしは、ちょっと味気ない雰囲気のつくばのセンターよりも、こちらのほうがスキです^^
住んでみたいなあ〜