お盆の中日におもいたって加曽利貝塚に行ってきました。
このところ、野菜栽培の記事ばっかりで別のことも書きたい&このところぜんぜんひとりで出かけてなくて鬱屈していたというのが大きかったり(笑)
わたしは小学校のとき教科書に載っていて、それで知ったのですが、国内でも最大級(というか発掘されているものとしては最大では)の縄文時代の貝塚です。
戦後まもなく重要な遺跡として知られていたにもかかわらず、特別史跡になったのが最近、というのが信じられない。え?五十年以上も放置プレイ???(笑)
おなじく縄文時代の特別史跡の尖石遺跡は、1952年になったそうです。
(縄文時代のものは、4遺跡のみ。旧石器の岩宿がはいっていないのがこれまた信じられない事実)
とにかく広い遺跡なので、ぱっと見、木がたくさん生えている林のような森のような場所でした。
このサイトに詳しいです(というか、ここ、素晴らしいサイトですね!)
公園入り口から広い道がつくられており、博物館までちょっと歩きます。
折しも台風がつれてきた不安定な天気により、朝からにわか雨が降ったり止んだりしてました。
気候のいい季節だとちょっとした散歩コース。
遺跡の近くに住んでいるひと、うらやましい〜
博物館に到着。歴史を感じさせる建物です(^^;
館内も一通り見てまわりましたが、縄文時代の貝塚に焦点を当てた展示になっていました。
ボランティアのかたがいて、丁寧に説明していただきました。
貝塚って、基本海の近くにあるのかとおもっていたら、どうも付近の川から船を出して海まで行って貝を採っていたそうです。
加曽利貝塚には船着場とおぼしき遺跡もあるらしい。
内陸にある貝塚は、ちかくに必ず海まで出られる川があって、そこに定住して漁労していたようです。
縄文時代は、縄文海進で関東地方の場合かなり内陸まで海が入りこんでいました。
栃木にも貝塚があるそうですよ〜
加曽利貝塚には、貝塚をスライスして展示してある施設が二つありました。
そのひとつ、北貝塚の断面閲覧施設。
こんなかんじで、埋もれたままの姿を見ることができます。
整地された面があるということは、定期的に整えられていたということですね。
ただのゴミ捨て場ではないみたい。
そもそも、貝塚ってほとんど円形に作られているらしいのですが、ゴミ捨て場だったら適当に場所を決めて捨てればいいわけで、なにも円形にする必要はない。でなくて円形になっているということは、なにがしかの意味があるのではないかという説が浮上します。
なるほどね〜
貝塚では人骨も出土し、犬の骨(ちゃんと埋葬した状態)も出てくるそうです。
縄文時代から、犬って人間のパートナーだったんですね。
出土している貝は、8割がイボキサゴ。直径1cmくらいの巻貝。
これ、数年まえ、「出汁につかったのではないか」という学説がニュースになったことがあります。
「でなければ、こんな大量に小さい貝を採るわけがない」とか。
あと、ハマグリやアサリとかが中心のようです。
もうひとつの貝塚断面施設に行ってみることにしました。
向こうに見えるのは発掘現場のようです。
明治に発見されて百年以上経ちますが、まだまだ調査中なのですね。
見えてきました。
入り口。
入ってみます。
こちらは北側のとちがって、通路がちょっと狭い。
南側は北側よりもあとにできた貝塚らしいですが、構成としては似たようなかんじですね。
貝塚は日本の考古学が研究された原点ですし、もっと注目されてもいいかなとおもいました。
遺構としてはそんなに派手ではないけど、もしかしたら、今後の発掘で大発見があるかもしれないし、博物館も新しくなってほしいですし、千葉の考古学の目玉は貝塚!っていう勢いで、応援したいです(^^)
住居あとも見たかったんですが、大雨接近の気配がしたので、今回はここで帰りました。
体力のあるときにまた来たいです!
追記
ネットをいろいろ見ていたら、こんな文書にたどりつきました。
http://www.pref.akita.jp/gakusyu/jomon-akita/JOMONARTフェスタ講演「ストーンサークルは、なぜ円い?」.pdf
「縄文人は円にこだわっていた!」
貝塚は単なるゴミ捨て場ではなくて、「自分たちが使っていたもの、大切なものをあの世に送り出す神聖な場である」とか。
なるほどなるほど。
貝って、時間が経つと白くなるんですよね。
それをまとめて置いておくと、真っ白になるんですが、その“白”も、あの世や聖なるものを想起させます。あの時代において、真っ白な場って自然界にそうないですから。
日本人が白を神聖視するのは、縄文時代に起源があるのかもしれません。
それに、縄文時代人が円を尊んでいたというのは、とても納得させられる学説です。
「丸」って、「平和」ですから。
もしかして、太陽の「円」からきているのかも?
日本の国旗も「円」ですしね。