大福山から梅ヶ瀬渓谷に降りてから、少し川の上流にある日高誠實邸を見学しました。
日高誠實とは、こんな人…
http://www.yorokeikoku.com/8kei/hidakatei/001.html
川沿いのちょっと小高い場所に塾があったようですが、そんなに広くない土地です。
一時は80人ほども弟子がいたとか。
「梅ヶ瀬」の名前も日高誠實がつけたのだそうです。
梅の木もありました。
が、当時のものではない模様。川沿いで、大雨のたびに流されてしまったらしく…
でも、梅は日高翁にとって、理想郷の象徴だったのでしょうね。
紅白の梅の香りが当時の様子を伝えているような気がします。
梅ヶ瀬渓谷は養老川の支流ですが、合流地点からここまで1.5kmはあるかも。
現代からおもえば「隠棲」にも近い山奥。でも、川のあちこちに、川廻しという川の水をショートカットさせて水田を確保する昔の工事が残っていて、人が生活した痕跡がありました。
なので、当時としてはさほど奥まった場所ではなかったのかもしれません(と、インストラクターさんからの受け売り^^ ;)
次はいよいよ?梅ヶ瀬渓谷を歩いて、梅ヶ瀬層をガン見です!