2ヶ月ぶりくらいに船橋の森に行ってきました(県民の森とは別のところ)
そうしたら、冬枯れだった森がいっきに黄緑色になっていて、山吹も咲いてましたよ。
子どものころ、クレヨンに「やまぶきいろ」がありましたが、まさにその色。
オレンジがかった鮮やかな黄色をひさしぶりに見ました。
二輪草(っておしえてもらったような…)
十二単。ごく淡い紫の花がいっぱい咲いてます。
山椒の葉っぱも青々と。いい香りでした。
森のなかを歩いていると、外からの情報がまるでないので、九州ではたいへんな被害が出ている現実からも切り離されて、なんともいえない気分になります。
まったく余震が落ち着く気配がなく、早く収束に向かうことを祈るばかり。
古代の日本人は、人間のことを「草」とおもっていたようですが(「人草」「現しき青人草」)、こういうときは、草のような無力さを実感してしまいます。
もちろん、雑草のような生命力という意味も込められてるのでしょうが。
地震や水害など災害が起こるたびに、どうして必要なところにお金や物が集まらないんだろうなと、いつも歯がゆいです。
すでに便利になっている都心の再開発よりそっちを優先すべきじゃないのかな。
社会のベクトルが、原始から、「欲望」「効率」「便利」に向かっていることは明らかだけど、「人権」や「福祉」「環境優先」も生み出したのも人間だから、これからはそちらの方向に大きく舵を切るような社会になるべき、とかんがえます。
とそんなことをつらつらおもいながら、森をあとにしました。