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sozoro nikki

そぞろ日記

虎塚古墳

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茨城方面に行く用事があったので、ひたちなか市虎塚古墳の一般公開に行ってきました。
春と夏の年二回、横穴石室内の玄室がのぞけるようになっています。
ベンガラで壁が彩色されていて、国内でもめずらしいとか。

 

 
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全長56.5mの前方後円墳。前方部から見たところ。
右手の奥に玄室の入り口。
 
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入り口で、入室人数を制限してました。
かんがえてみれば、貴重な遺跡で自由に見られるわけがなかった!(^^;
 
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玄室内部(の写真)、古墳の横にあった看板を撮影。
内部はカメラダメで、温度湿度を一定に保つよう、現代科学でがちがちに守られていて、照明も必要最低限、50cm四方くらいのガラス窓から暗い玄室をのぞくようになってました。そこに5、6人入れて係員のかたの説明4、5分。

それによると、埋葬者は玄室内部に直接「置いた」ようです。石棺はないみたい。玄室=石棺なのかな。

 
この古墳がつくられたのは、諸説あるようで、6世紀末〜7世紀前半と幅が。
畿内ではもうほとんどつくられなくなってるころですよね。
漆塗りの小太刀などの副葬品も発見され、仲国造のひとりである可能性は高い。
 
追記:
古事記を見てみたら、このあたりを支配した仲国造の祖は神武天皇の子、神八井耳(かむやゐみみ)の命とあります。そして多氏と同系とか。
大和朝廷の勢力が関東にも及ぶにあたって、各地の豪族が大王家にむすびついたとかんがえられます。
 
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虎塚古墳から5分くらい歩いたところにある、十五郎穴。
横穴墓で、古墳時代末から奈良時代までつくられたそうです。
やはり、ここらへんを支配した有力者の墓かと。
 
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虎塚古墳そばにある、ひたちなか市埋蔵文化調査センターにも寄って、いろいろ見せてもらいました。
 
常陸国風土記のスキなわたしは、「常陸国風土記ゆかりの地マップ」をゲットして、ほくほくです^^
わかりやすくて見やすいカラーのマップの出来がとってもよい!
常陸国は、大部分が残っている風土記、編纂1300年記念(平成25年)としてつくられたものだそうです。
それによると、奈良時代の推定人口は約500万人、うち常陸国は22万人。
利根川流域の千葉県側もあわせて、霞ヶ浦から那珂川くらいまでの範囲って、水が豊富でお米がたくさん取れるところだったんだろうなあ、と(今も米どころ^^)